言葉の魔法力
「人間とは~というものである。」
という自分なりの定義を「人間観」とすると、
「世界観」とか「宇宙観」という考え方もあるわけで、
その考え方や定義によって、その人の行動もおのずと変わってくるものだと思います。
私達は身体の一部を失っても、
自分という人格や価値が減るわけではありません。
熊本県に、大野勝彦という方がいます。
http://www.youtube.com/watch?v=R3TP97_KVJI
彼は事故で両手の肘から先を全て失ってしまいました。
しかし、大野勝彦という人間の持つ人格的素晴らしさや価値は、
欠けるどころか益々輝きを増してさえいます。
たとえ 両手両足を失っても
その人の人間的価値までもが失われるわけではありません。
そうなると、「私」とは肉体ではない! ということになります。
肉体は私の持ち物、つまり私の道具であるわけです。
この地球上で幸せを味わう為に、私はこの肉体という道具を駆使します。
では本当の私は何処にいるのでしょう?
思考や感情、あるいは心という目には見えないけど否定はできない、
確かに存在しているエネルギーそのもの、幽なるものが私!
それが「私の人間観」です。
肉体を否定しているわけではなく、
それぞれの人間観によって、肉体のコントロールの仕方が異なる
ということです。
だからこそ、より崇高な人間観を持つ必要があると考えます。
倫理法人会のテキストである「万人幸福の栞」第17条に
http://www.rinri-jpn.or.jp/
「神は幽なるもの、説明を超え、思惟を絶する、・・・
人は神の性を受けて現れ・・・その各々の堺において
主位に居る。
・・・形をとった力はひそんで幽界に統一する。
故に
幽顕一体であり、
神人不二である。 (
幽とはエネルギーで、
顕とは現れた肉体のこと)
・・・
人かと思えば神、神かと思えば人、
神人一致である。
・・・人は生命を神にうけているが、一度生まれれば、
各々の自性をうけて
自由となる。」
と説かれています。
自分自身を定義するものこそ「言葉」なのです。
よりよい人生を送りたいのなら、
言葉によってより崇高な自分自身を定義することが大切である、という内容の話を
「言葉の魔法力」というテーマで
うるま市倫理法人会にて講話させて頂きました。
私の受け持つ生徒達にも、
常にそうであるようにと願って
日々イメージトレーニングを提供しています。
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