言葉の魔法力

喜納康光

2012年11月08日 23:19

「人間とは~というものである。」

という自分なりの定義を「人間観」とすると、

「世界観」とか「宇宙観」という考え方もあるわけで、

その考え方や定義によって、その人の行動もおのずと変わってくるものだと思います。


私達は身体の一部を失っても、

自分という人格や価値が減るわけではありません。

熊本県に、大野勝彦という方がいます。 http://www.youtube.com/watch?v=R3TP97_KVJI

彼は事故で両手の肘から先を全て失ってしまいました。

しかし、大野勝彦という人間の持つ人格的素晴らしさや価値は、

欠けるどころか益々輝きを増してさえいます。

たとえ 両手両足を失っても

その人の人間的価値までもが失われるわけではありません。


そうなると、「私」とは肉体ではない! ということになります。

肉体は私の持ち物、つまり私の道具であるわけです。

この地球上で幸せを味わう為に、私はこの肉体という道具を駆使します。


では本当の私は何処にいるのでしょう?

思考や感情、あるいは心という目には見えないけど否定はできない、

確かに存在しているエネルギーそのもの、幽なるものが私!

それが「私の人間観」です。


肉体を否定しているわけではなく、

それぞれの人間観によって、肉体のコントロールの仕方が異なる

ということです。

だからこそ、より崇高な人間観を持つ必要があると考えます。


倫理法人会のテキストである「万人幸福の栞」第17条に  http://www.rinri-jpn.or.jp/

「神は幽なるもの、説明を超え、思惟を絶する、・・・

人は神の性を受けて現れ・・・その各々の堺において主位に居る

・・・形をとった力はひそんで幽界に統一する。

故に幽顕一体であり、神人不二である。 (とはエネルギーで、とは現れた肉体のこと)

・・・人かと思えば神、神かと思えば人神人一致である。

・・・人は生命を神にうけているが、一度生まれれば、

各々の自性をうけて自由となる。」

と説かれています。


自分自身を定義するものこそ「言葉」なのです。

よりよい人生を送りたいのなら、

言葉によってより崇高な自分自身を定義することが大切である、という内容の話を

「言葉の魔法力」というテーマで

うるま市倫理法人会にて講話させて頂きました。









私の受け持つ生徒達にも、

常にそうであるようにと願って

日々イメージトレーニングを提供しています。

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