火の海と化した気仙沼

喜納康光

2012年04月18日 14:14

沖縄県と愛媛県倫理法人会の合同で
宮城県の三陸町と気仙沼を訪ねたのは、
去る4月10日~12日にかけての三日間。
震災被害に遭われた方々から直接お話を伺い、言葉を失った。


その日、海底の砂やヘドロをかき上げながら、
どす黒い高波が街に向かってくるのを目の当たりにした熊谷氏の話である。

海岸にある重油タンクがもろくも、一揆に押し流され重油が当たり一面に広がった。

直接火をつけても燃えない重油だが、
海面に浮かぶたくさんのがれきは重油まみれだった。
そこに押し流された車のガソリンやプロパンガスの炎が発火し、
午前4時過ぎ、気仙沼の湾は一揆に火の海と化した。

マグロ船といえば気仙沼の象徴であり、
それに乗れることは気仙沼漁師の誇りである。

そのマグロ船が炎に包まれ、
湾を行ったり来たりして漂う姿はまるで幽霊船のようであった、
と熊谷氏は悲しそうに語った。

夜が明けても、気仙沼の湾は炎に包まれたまま。

ある幼稚園の先生は、園児をつれて高台の公民館に避難していたが、
押し寄せる波かさは高まり、園児を全員屋根の上まで避難させた。
これで安心ではなかった。

海水からは逃れたが、燃え盛る炎がどんどんと近づいてくる。
もうダメだと思ったとき、アメリカにいる息子にメールでその事を告げた。

遠い異国にいる息子に成すすべはなかった。
母からのメッセージをYouTubeに載せること以外は。

そのメッセージが東京都の副知事の目にとまり、
東京消防庁のヘリが出動した。

全員が救われた。


今回、被災地を訪れて心に残った現地の方々の言葉は、



「必ず このご恩はお返しします。」

であった。














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